FEATURE


FOXJAPAN TM and (C) 2002 Fox and its related entities. All rights reserved.
本サイトをご利用になる前に、本サイトのプライバシー方針利用条項をお読みください。
至福のとき Up Down Drag
中国各新聞の報道記事より

新聞午報

 「至福のとき」は「あの子を探して」や『有話好好説(Keep Cool)』に比べ、どんな新味があるのか、監督はこう語っている。「まずコメディであり、同時に悲喜劇でもある。一気呵成のリズム感、内容の充実したストーリー、紆余曲折のドラマ展開、物語がどう発展していくのか誰にも予想がつかない、そういうスタイルを狙った。観客は映画を5分見ればラストまで見続けてしまう。そしてラストシーンで、物語の内容の豊富さ、そこに描かれた人生の苦さ、複雑さに思いを寄せることになる。そんな映画にしたいと思っている。」

 主役にチャオ・ベンシャンを選んだのは監督なりの理由がある。「まず役柄にぴったりだということ。彼を使うのは冒険だとみんなに言われたが、彼以外には考えられなかった。最初に思い浮かんだ役者が彼だった。短い寸劇で観客をひきつけるのは役者の力がいる。そういう役者は多くない。寸劇にはアドリブが必要で、臨機応変な能力がいる。チャオの機知とユーモアがこの映画には必要だった。だから、現場では台本は二の次となった。本番前に役者全員が揃ってセリフを言ってみる。そのあとで、私がそれは言わなくていい、これは言って欲しいと話す。面白いのは、チャオは10回やると10回とも違うんだ。最初はフー・ピアオやリー・シュエチエンといった一流の俳優は彼についていけなかった。返ってくるセリフが毎回違うから。だが、すぐにみんな意気投合し、お互いのやり方をのみこみ、これは面白い方法だと思うようになった。まったく違うタイプの相手とやるのに慣れ、最後には呼吸がぴったりと合うようになった。我々は現場で発生する火花を重視した。そうなると、本番でのやりとりのほうが台本よりずっと笑えるし、登場人物である市井の人々の雰囲気にもぴったりなことに気づいた。脇役はみんな社会の注意を惹かないような人々だが、善悪をはっきりわきまえ、善良な人間性と個性がある。チャオ・ベンシャン演じる人物は非常に個性的で善良だが欠点もある。悪気はないが口から出まかせを言ってしまう人物を演じるのは彼以外には考えられない。ホラ吹きだけど悪気はないから、みんな吹きだしてしまう。もっとも本人は全然ホラ吹きではなくて、これは彼の長年のキャリアが生み出したキャラクター的イメージなんだ。他の役者との協調性もあり、共演者との掛け合いが上手い。演技の上でも非常に協力的で、労を惜しまずみんなとセリフ合わせをしていた。長年舞台でやっていたから、セリフ回しが本当に流暢なんだ。彼の東北訛りは矯正しなかった。あまりにも東北的な俗語は困ると言ったが、それで、彼はますます水を得た魚のごとくセリフがほとばしる感じだった。性格もいいのでみんなととてもうまくやっていた。脇役を演じる役者たちも、それぞれ一流の俳優なのに脇に甘んじてくれた。リー・シュエチエンは大俳優だし、フー・ピアオはここ数年で人気急上昇した俳優だ。彼らが脇を演じてくれたのは私への友情からだ。心配したチームワークもとてもよかったし、出番は多くないが、きらりと光る個性で作品に彩りを添えてくれた。とても満足しているよ。」

* * * *
北京青年報

 チャン・イーモウ監督が『有話好好説(Keep Cool)』に続いて都会を舞台にして撮った作品。監督は正直にこう語った。「私も一人の凡人なので不得意な分野がある。人々が私は農村物の監督で都会を舞台にした映画は撮れないと断言するので、なにくそという気持ちで『有話好好説』を撮ったというところが確かにある。だから、いまあの作品を見直してみると、意識的に都会らしさを演出したきらいがある。今回の『至福のとき』では、これは都会物だとか農村物だとか考えずに、ただストーリーに従って自然に撮ったつもりだ。」

 「至福のとき」は莫言の小説を原作にしているが、物語は大幅に変えられ、原作にない目の不自由な少女も付け加えられた。ただ、監督は映画と小説が一致しているのは荒唐無稽さだという。今回は淡々と撮る方法で、なおかつ内容は荒唐無稽という、ブラックユーモアの趣がある。

* * * *
大衆電影

 チャン・イーモウは語った。「今回『至福のとき』を撮影するにあたり、また新しいスタイルに挑戦したいと思った。つまり、喜劇の殻で悲劇的内容を包み、観客にリラックスしたあとで重い苦渋を味わってもらおうと。芸術的には、それは芝居の最高境地かもしれない。『至福のとき』が観客に楽しみと同時に何か考えさせられるものを与えられたらと思っている。」